考えてみたというよりも過去に考えたことの洗い直し

 運ゲーであること自体は悪くないが、調整や他の要素との兼ね合いがむずい印象。
 以下運の要素をゲームに取り入れる場合の例。


テトリスぷよぷよ
 どちらも運以上に技術を介入できるため運ゲーとは呼ばない。
 テトリスはどんなパターンがきても詰むことはないらしい。
 ぷよ通は256ぷよ回すと全ての色がほぼ同じ数で(01230123…と256個並べてランダムに入れ替える方法。そのため129組目は1組目と同じ色になる)、両者の条件が同じ。運が強く絡むのは5個以下のおじゃまぷよのみ(SUNで順番が固定されたが、フィーバーで複雑化され記憶が困難になり実質ランダムと同じに改悪された)。
 どちらも習熟段階がはっきりと設定されており、プレイを続けると自然と上手くなるもの運ゲーと呼ばれないポイント。むしろぷよ通の習熟段階の多さは過剰で、ちょっとの実力差でほぼ100%勝てないという事態が上級者から初心者まで満遍なく起こってる。競技という面で見ればこれ以上ない究極の仕様だが。


・ぽぽいっとへべれけ(SS版)
 上2つと真逆で、運ゲーパズルとして優れているのがぽぽいっとへべれけ。ルールは細菌が動くドクマリ程度だが、送るおじゃまの式がおかしい。ある条件下で20〜30個のおじゃまが送られるため、大量のおじゃまを送る→送ったおじゃまが大量に消える→より大量のおじゃまが送り返される、の連鎖がターゲットが全部消えるまで続く。このバカバカしさと気持ちよさは他に見ない。まさに「くそげーすれすれのすりりんぐ」にふさわしい。
 対戦ゲーとしてはダメだが、パーティーゲームバカゲーとしてはとても正しい。運ゲーの理想形の1つ。


ドカベンカプコン制作AC版)・マインドシーカー
 どちらも運のみで決まり、プレイヤーが介入できる余地がない。出すトークンすら選べないというジャンケン以下の運ゲー
 だがマインドシーカーたけしの挑戦状的な狙ったクソゲーなのに対して、ドカベンは擁護の余地のないつまらないクソゲー。この差は大きい。
 言うなればマインドシーカーは全体のデザインとして説得力・統一感があり、ドカベンは破綻している。超能力育成ならこの内容は理解できるが、野球は全く関係ないじゃん。


カルドセプトドカポン321・ドカポンIV・桃鉄SFC版全般)・いたスト2・マリオパーティ1
 ボードゲーム+α全般。とりあえずプレイしたことのあるもののみ。
 左に行くほど技術が介入できる要素が強く、右に行くほど運の要素が強くなる。
 接待用のパーティーゲームならば運の要素を強くすることで下手な人も勝てるようになるため、良いデザインとなる。でもマリオパーティーはやりすぎだと思う…。
 個人的には桃鉄の運と技術に関するバランスは神がかってると思う。


メテオス
 操作する技術と運が重要なゲーム(メテオスオンラインでは横移動が加わったことで運の要素がばっさりカットされたが)。上級者同士の対戦を見るとやってることは初心者と変わらないが、そのスピードが桁違い。
 似たような方向性のいりす症候群!と決定的に違うのはプレイ時間と操作量。メテオスは1プレイ2〜5分程度でプレイ中ずっと操作し続けるが、いりす症候群!はテンポの悪い展開が10分以上続くため再挑戦性が低い。


STG全般
 現在では主にアドリブ部分を担当する程度。パターン化と気合いのバランス、の気合いを生み出すためのもの(余談だが、HellSinker.のように乱数を使わずにアドリブを要求するデザインもある)。
 STGというジャンルの特性上、運を中心に据えるのはよくない。例えばダライアス外伝の銀勲章のようにランダムでスコアが決まるとかは、バランスにもよるが稼ぎの競技性を下げるため悪いデザイン。
 ただし伝統的なスタイルに則らないならばこの限りではない。例えばEveryExtendはオブジェクトの出現法則がランダムだが、技術で運をほとんどの場合カバーできるように設計してある。極まれに運の悪いパターンがきてもプレイ時間が短いのでさっさと次へいける。
 要は組み合わせの問題。乱数と相性の良い要素で構成すれば運ゲーでも良いゲームにできるはず